スイマセン、今日はちょっとエモい感じで書かせてもらいます。

来年40歳になる、見た目も頭脳も中年のおじさんが恥ずかしながら夢について語りたいと思います。
僕は昔から格闘技が好きでした。
僕自身は小学校から空手をやっていたんですが、どちらかというと実践向きではなく「形(かた)」と呼ばれるものをやっていました。(東京オリンピックで正式種目になったやつね)
中学の時は自由組手という実戦もやっていまして市民大会で3位を取っていました。
(自分のメダルは噛んでもいいんだよね?)
そして何より、Kー1が大好きだったんです。
あの頃のK-1って本当に面白かったんですよ。
黄金期と呼ばれている時代でした。
アンディ・フグ、マイク・ベルナルド、ピーター・アーツ、サム・グレコ、フランシスコ・フィリオ、ミルコ・クロコップ、ボブ・サップ、アーネスト・ホースト、ジェロム・レバンナ、レイ・セフォー
パッと思い出すだけでも、これだけの選手が出てきます。
僕はその中でも特にアンディ・フグ選手が好きでした。
もくじ
アンディ・フグ選手に憧れた少年かめぴょん
スイス出身の空手家です。
皆さんもK1は詳しくなくても、アンディフグの名前は知っているのではないでしょうか??

日清のカップラーメンで強麺(ごうめん)というのがありアンディ・フグさんが「ごうめんなさいよ、ごうめんなさいよ」と言うのが印象的なCMもあり、日本でも大人気な選手でした。
僕がK-1好きになって一番熱を持っていたのが1996年です。
その時のK-1グランプリで優勝したのがアンディ・フグ選手なんです。
フグトルネードやかかと落としいう技があって本当にかっこよかったんです。
でも、僕はその後バレーボールに青春を捧げました。

中学ではバレーと空手をやってましたが、高校はそこそこの強豪校だったのでバレーボール1本の生活でした(ほぼ部活の思い出しかない高校生活)。
バレーに関しては、燃え尽きました。
3年間完全燃焼してやりつくした感があります。
くすぶっている事にも気付かなかった夢
でも、僕の中学生の時の夢は間違いなくK-1選手でした。
K-1選手になるための努力などは一切したことはありませんが、ぼんやりとK-1選手になりたいと思ってました。
子どもが将来なりたいものを「プロ野球選手」「youtuber」って答えるのと一緒です。
でも、僕は心のどこかで「ボクシングをやってみたい」と思っていました。
「はじめの一歩」というマンガが好きな事もありますし、とにかく立ち技が好きなんです(総合ルールの寝技はあまり好きではない…)。
20代の頃の僕は大手企業を1年で辞めてしまい、薄給で休みなしのブラック企業に勤めながら、不妊治療をしていたこともあり必死でした。
今でこそ、子どもが産まれたからよかったですが、30歳で息子が産まれるまでに6年掛かりました(24歳から不妊治療してたんだよ!すごくない?)。
20代は全て不妊治療のための時間でした。
30代で家を買ってから気が付いたんです。

と思い、転職して上京しました。
上京するつもりはなかったんだけど、全国転勤ありの会社にしたら初日転勤と言う大技をだされた
32歳という年齢で、新しい仕事を覚えるのは大変でした。
先輩はみんな年下ですからね。
これまた必死に仕事を覚えました。
30代前半は仕事を覚えるのに必死でした。
それから月日は経ち、僕は30代後半で、この業界でのトップ部署へ配属になりました。
でもね、僕はそこで体を壊してしまったんですね。
(この話はまたいつか書くね)
そして、僕は完全に出世コースから外れました。
出世コースに興味あったっけ?
もともと僕は出世コースには興味がありませんでした。
でも僕は会社で仕事するなら、一生懸命働くしそこそこ結果にもこだわりは持つタイプです。
(ぜってぇ1位になってやる!と言うタイプではないです)
ただ、なんとなく上位に居続けたのと、社長が変わり会社がブラック化していって先輩たちの大量退職があったので、なぜか望んでいない出世コースに乗ってしまいました。
若手にはできない難しい仕事ばかりが舞い込んでくる日々。
でも、お金には魔力がありまして給料がいいもんだから頑張ろうと思ってしまうんですね。
しかし、家族の為に働いてるのに、家族に会う時間がない日々…
そして、僕の出した答えはコレです。

別の会社で新人やろう!
しかも、同じ業種で新人をやろう!
ミドル年齢の中途採用には2種類ありまして、ひとつはヘッドハンティング的にもっと好条件での移籍です。
って、やつですね。
しかし、僕が選んだのは未経験者枠(経験者大歓迎!)です。
そうです、32歳に転職した時から年収は随分と上がってますが、それらを全部捨てて、また新人を選びました。
つまり、強くてニューゲームです。
(クロノ・トリガーやったことある人ならわかるよね)
そうして、僕は同業他社の札幌支店の募集を虎視眈々と狙い、自腹で地元に帰りました。
(転職エージェント使ったよ。うまく入社できてよかった)
空いた時間
ちなみに、僕の仕事は同業他社に移るという転職はあまりないのです。
なぜなら「この仕事が嫌だから辞める」と言うのが多いので、未経験者が多いんですね。
(経験者したら二度とやりたくない仕事)
僕はこの仕事が別に嫌いではないので他社で「強くてニューゲーム」が出来たのです。
なので、研修期間や育成期間はヒマでヒマで仕方ありませんでした。

なんだったら講師よりキャリア上だったし…
そこで何気なく家の近くにあったキックボクシングジムに入会したのです。

入会半年ほどはダイエット目的でやってましたが、ついついスパーリングとかし始めたわけですね。
そこで、気が付きました。

そうしたところ会長から

40歳以上が出場条件のアマチュアの試合です。

速くはないですね(笑)
夢を叶える時が来た
ところで、僕は今39歳です。
マスターズの出場資格は40歳以上です。
僕は確かにK-1選手になりたいという夢があった。
忘れていた夢だ。
こんな事がなければ思い出しもしなかった25年前の夢だ。
25年前の俺の夢を叶えに行こうと思う。

プロだろうがアマチュアだろうがK-1に変わりはない。
僕はアンディ・フグ選手が戦った、あのK-1リングの上(アマチュアだけど)で戦おうと思う。
K-1は東京でしかやっていないので、来年出れるかはわからない。
(セコンドも同行なので色々と都合がね)
まずは北海道でもやっているRIZEが主催のBOUTに向けてになるかもしれない。
ただ、僕は社会人生活も折り返しに差し掛かり仕事にも余裕が生まれてきた。
同じ会社にいたら、僕は出世してしまい責任の多い仕事に時間を奪われてこうはいかなかったと思う。
だが、僕は別の会社で新人だ。
今の会社では「お前本気出せばもっと出来るだろう?」と思われているでしょうが、仕事にコミットする人生はやめにします。
年齢取った時に「お前らにいい生活をさせるために為に俺は身を粉にして働いてきたんだ」と恩着せがましく言っている自分と「父さん、頑張るから試合見に来てくれよ」と、なんか知らないけど生き生きとしている自分。
なりたいのは後者だよね。
だから、みんな聞いて下さい。

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