かめぴょん思考

悪口を言うなら「最大のデメリット」を理解した上で言えばいいと思う

人の悪口を言ってはいけません

小さい頃、大人からよく聞く言葉である。
他人の不幸は蜜の味

大人になってから、大人からよく聞く言葉である。

更には「他人の不幸は蜜の味」と言いながらどこかれ悪口を吹聴している大人が、子どもには「悪口を言ってはいけません」と教えてるのだから始末に悪い。

そこで僕は大人になってから考えた。

悪口ってシンプルに自分のためにならない。

コレは好感度を上げたいとか、徳を積みたいとか、モテたいとかそういう思考からではなく、超合理的人の悪口は自分の未来を狭くしてしまう事が37年間人の悪口を言ってきたことで気がついたのだ。

さて、今日は悪口のデメリットを掘り下げていきましょう。

悪口を言わない方がいい合理的な理由

じゃあ、かめぴょんは悪口を言わないんだ、スゴイねw
でも、人間は誰しもがダークサイドを持っていて、その闇に取り込まれないために悪口というツールで吐き出しているんだよ。
世の中には聖人君子のような人はいなくて、どんな人でも闇の部分はあって、表面上は良い人に見えても必ずダークサイドは存在するの。
でも、僕はそう言う人の方が人間っぽくて好きで、逆に皆にいい顔する人のほうが僕は信用できない。

と、一回僕を肯定してから「でも」をつけて否定してきて過去になんかあっただろ?と思わせる程いい人は必ず裏切る思考をお持ちの方に出会う事がある。

僕はこの人に対して2つ思う事がある。
ひとつは「たぶんスターウォーズ好きなんだろうな」という事。

もうひとつは「w」の使い方がシンプルにムカつくという事だ。

さて、話が思いっきり脱線したが「悪口を言わない」という事は、良い人ぶってるとイコールになっている事がよくあります。

つまり、Twitter2ちゃんねるヒドイ書き込みのような姿が人間の本性で、それを「良い人面」をかぶって歩いているという思考ですね。

ですが、悪口を言わない方がいいという事に超合理的な理由があるんです。

振り上げた拳は下せないという謎の文化

男というのは激しく頭の構造がバカなのです。←悪口

もっともバカだなぁと思うのが「振り上げた拳をおろせない」というやつです。

例えば男の世界にはこういう事がよくある。

怒った後に自分が間違っていた事に気がつく
(怒ってる最中に気づくこともある)

これに対して男のパターンは以下3つ

1.「悪かった」と素直に謝る(2%)
2.自分が間違った事に気が付くが何もなかったかのように過ごす(65%)
3.「謝ったら負け」だと思っていて怒りを継続する(33%)

そうなのです。
謝る人は上位2%なのです。(かめぴょん調べ)

「上位2%」とはメンサに入れるのと同じ確率なのだ。
※メンサとは知能指数上位2%の方の交流を目的とした非営利組織
※茂木健一郎さん ロザン宇治原さん等

いわば、素直に謝れる男という事は天才なのだ。

女性の皆さんも薄々気が付いていると思うが、男の世界には「振り上げた拳は下せない」という謝らない文化が正当化されることわざがあるくらいなのだ。

これは女性に対してだけではなくビジネスの世界でもよくあることです。
そのくせ、その人たちは相手には「悪いと思ったら素直に謝れ」と僕たちを二度ムカつかせる能力を兼ね備えています。

人を否定すると未来が狭くなる

さて、回り道をしてきましたが、人のやっている事に悪口を言うと、男たちの「振り上げた拳は下せない文化」のせいで、否定してしまった手前自分がそれをできなくなってしまうのです。

例えば株やFXやビットコイン(仮想通貨)について

よくわかんないからやっていない。
でもまぁ興味はなくはないかなぁ。

くらいにしておけばいいのに

あんなので儲けてる奴は悪い事してるに決まってる!
金は汗かいて稼ぐもんなんだよ!

ここまでひどい奴はいないかもしれないが

やめとけって、絶対失敗するから。
お前のために言ってるんでからな。
え、おれ?
やってないよ。

と高田純次のようなことも起こる。

(画像:適当手帳より引用)

そうなってくると、今や仮想通貨ブームが来ているが否定してしまった手前、その波に乗ることはできないのだ。

彼の人生から「投資」という選択肢がなくなってしまったのだ。

そして、その後彼はどうなるかというと「いやぁ俺もやってみたいなぁ」となるわけではなく、投資で成功している人を全力で否定し続けるのです。
でなければ自分のメンツが保てないのです。
(だから偉そうな高齢者っていっつも否定的なのかなぁ?)

さっきの3のパターンで怒り続けている人と同じですね。

悪口を言わないほうがいいい理由まとめ

さて、人の悪口とこの話がどう関係してくるかというと、悪口って結局のところ誰かを否定しているわけですね。

例えば、僕がやっているこのブログだったり、DJイベントだったり、キンコン西野さんのおっかけだったり、やたら自撮りしてSNSにあげたり、結婚してるのにやたら女の子と二人で飲みに行ったりしている事を悪く言うと、金輪際あなたはそれができなくなるのです。

そして「やたら女の子と二人で飲みにいったりしているというのはだ。
ただの願望だ。
人はこれを悲望という。

つまり、僕の自撮りを

いい歳してなにやってんの?
バカじゃない?

と、思うのは勝手です。

思うは勝手ですが、それを口にしてしまうとあなたの未来からその可能性はつぶれるのです。
※ちなみに僕の自撮りにはものすごい意味があるんですよ。気になる人は飲んだ時に教えてあげるよ。

まぁ、若くない人なら生き方が固定化しているので、他人の悪口ばっかり言っていても人生に問題ないでしょうが(つまんねぇ人生だなと僕は思うけど)若い人が他人の悪口を言うというのは自分の数ある未来を狭めているという事なのです。

まとめると、悪口を言わないのは好感度アップや道徳的な事ではなくて「思うは勝手だが、言わないほうがいいよ、自分の未来のために」と言ったところでしょう。

悪口にもメリットがある

最後におまけ的に書き記しておこう。

僕も悪口全く言わないかというとそうでもない。
直接的な被害にあった場合は別です(人間だもの)。
噂話レベルを吹聴したりはしないという事です。

そして、悪口には実は人間関係を深くす上で、とてもメリットがあるのだ。

それは、悪口は人を結束させるという事です。

ドラえもんに例えるとわかりやすいのですが、ジャイアンがのび太をいじめると周りはどうなるか?

「のびた」という共通の敵を作る事で、別にのび太を悪く思ってないやつまでのび太を嫌いにさせてジャイアン陣営が結束を固めるのです。

(画像:小学館「ドラえもん」より引用)

↑別に関係ない人まで結束してしまう瞬間

時としてあのしずかちゃんでさえも「のび太さん、じゃあね」と言ってのび太を仲間外れにしてスネ夫の別荘に行ったりするのだ。

これはアドルフヒトラーが「ユダヤ人」と言う共通の敵を作り上げる事で庶民の結束を高めた手法と一緒だ。

ちなみにこれを人はプロバガンダという。

悪口というのは一種のプロバガンダになりえるのだ。
※プロバガンダは自分で調べてね。

そして僕は耳を疑うような僕の悪口を聞いたことがある。

僕の悪口を言ってる人へ

「かめぴょんって超遊び人らしいよ。彼女だって5,6人いるって話だよ」

こういう噂が僕のもとに届いたことがある。
ちなみに、その言っている人の情報も届いたが僕はその人とは一度も会った事がなかった。

誰かがギャグで言った事を真に受けた人が、噂の経路で尾ひれ背ひれついて原型をとどめない話になったのだろう。

しかし、そんな噂でもなんの目的があって、わざわざそんな事を言うのだろうか?

おそらく僕を陥れることで自分の人気が上がるという算段だろうが、どう考えたってみんな僕を信じるだろう。

自撮りだってなるべく不細工に映らないように上からの角度しか撮らないような男だ。
彼女が6人もいるはずがない。

しかも、実際会ってみると二重あごのぽっちゃり体系だ。
そういうネガティブな意味からどう考えたって僕が遊び人であることは、悲しいけど誰も信じないだろう。

では、僕はその噂を聞いたときムカついたかというと別にムカつきはしなかった。

それは見知らぬ彼が吹聴したところで誰も信じないだろうし、その噂が流れたらネタ的には面白いだろうし、そもそも彼が言っているのは悪口ではなく僕のなれなかった未来だったからだ。

僕は本当はイケメンでモテモテで港区のタワーマンションに住んでシャンパンを傾けて、彼女6人くらいいる男になっているはずだったのだ。

だが現実は今日も新橋の安居酒屋で乾杯して、週末は嫁と子供と猫と楽しくすごすような、あんたから見たらつまらない男になっちまったのさ。

ちなみにこのブログは「俺の悪口言ってもいいけど全部ネタブログにして返してやるから全然痛くないよ」という挑戦的な気持ちと、ドラえもんを読んでたら、あのジャイアンが振り上げた拳を下げたことに感動して書いたものです。(ドラえもん読んだだけでここまでのブログが書けるのです)

(画像小学館「ドラえもん」より引用)