自己肯定感について考えたらピッコロと悟飯が出てきて悟空はクズでした
本日はちょっと「自己肯定感」について僕の考え方というか、生き方みたいなのを書き出してみようと思います。
特に有益な情報があるわけでもなく、ただ「かめぴょんって、こんなこと考えてるんだぁ」くらいのブログです。
そのくせ6000文字もあります。
[box02 title=”要約”]・使う言葉で人格は形成される
・自己肯定感の高め方
・イジりには断固応じない
・かめぴょんってこんな人だよ[/box02]
あなたは「自己肯定感」ありますか?
自己肯定感とは、自分のことが好きかどうかということですよね。
大人になってから僕と友達になった方は、僕のことを「自己肯定感のかたまり」のように見えているのではないでしょうか?
結論を先に言うと「今は自分のことが大好き」です。
じゃなきゃ、こんなに自撮りなんてしません。
ただ元々の僕は自己肯定感は低めでした。
自己肯定感の高い人には、たまに最初っから高い人もいますが、どちらかというと後天的に自分のことを好きになった人が多いと思います。
では、どうしてこんなに自己肯定感が高くなったかを、自己分析とともに振り返ってみようと思います。
僕はイジられキャラだった
僕は特に足が速いわけでも、カッコいいわけでもありません。
おもしろさは兼ね備えていましたが、人気者になるような面白さではなくて、何かをこじらせた結果のおもしろさです。
そして、僕には毛深いという最大のコンプレックスがありました。
スネ毛ボーボー、腕毛モジャモジャ、ひげも濃くて色白なので青ヒゲです。
思春期の少年少女をキモがらせる要素は十分兼ね備えていました
あの頃は女子も恋に恋焦がれ恋に泣いていたので、非常に男性の理想が高かったはずです。
TMレボリューションの西川君も、武田真治さんもまだゴリマッチョではなく中性的なフェミニンな魅力がありました。
また、ビジュアル系バンドもSOPHIAの松岡くんや、L’Arc~en~Cielのハイドさんのような美しさを女子は男性に求めていたように思います。
それも相まってか、当時のイケてる女子高生(コギャル)は、大学生を通り越して働いている年上と付き合うようになり「同学年の男子は、ガキに見える」と言って、ガキの僕らを困らせていました。
何が大人だよ!
どうせお前らはあそばれてるんだよ!!
と、ガキの僕は思っていました。
そして、大人になった僕は「女子高生と付き合ってる大人は犯罪です」と、大方あの頃と意見は変わっていません。
そして、厄介なのはちょっとワルいくらいがカッコいいみたいな風潮もあり、東京リベンジャーズみたいなちょっと悪いやつがカッコいいとされていました。
中学生のヤンキー抗争で、場地圭介はお亡くなりなります。
そうなんです。
毛深くて美形でもなくワルの要素も皆無な僕は、女子から箸にも棒にもかからない状態だったのです。
そして、男子からは毛深くて美形でもなくワルでもない上に承認欲求は高め(目立ちたがり屋)なので、イジるには格好の的だったと思います。
別に「女子にモテること以外で自信をもてばいいじゃん」となるでしょうが、どこをどう間違ったのか僕の中では「モテる」ということに強い憧れがあったのです。
そこで僕はこういう生き方をするようになりました。
コンプレックスと理想の間
ところで学生の頃って、なんで「キモい」って言葉を使うんでしょうね??
男子も女子も何かあれば「キモい」「きめぇー」と大声で言ってきますよね。
あのキモいという言葉にはマウントをとる効果があるため、先に言ったもん勝ちみたいなところがあります。
そして、仮に僕が
と、言い返したとしても「毛深い」「青ひげ!」「老け顔!」とコンプレックスを攻撃すれば返す言葉はなくなります。
よく考えたら、大人になってから「キモい」という言葉は使わなくなりましたよね。
※今でも使ってるような人とは仲良くしてません
振り返ってみると「キモい」という言葉は、相手のどんなコンプレックスにも対応した最凶の攻撃性持った言葉ですね。
決して人に向かって言っていい言葉ではありませんね。
コンプレックスは笑いに変えろ!!
では、そんなコンプレックスを攻撃してくる言葉「キモい」や「イジリ」に対して人はどうやって対処するのかという話です。
これが最も効果的な身の守り方ではないでしょうか??
今の僕なら学校でうまくいかないなら、SNSを活用して外部に気の合う友達を探すでしょう。
でも、学生時代というのは残酷で「その年に、その地域に生まれた」というだけの人を集めて「はい、仲良くやってください」という無理ゲーを強いられるわけです。
非常に狭い世界で生きなければいけなくて「イジってくるやつ」と距離を置きたくても置けないわけです。
じゃあ、どうやって生き抜くかと言うと「コンプレックスを笑いに変える」しかありません。
これは皆さんも経験があるでしょうが、イジってくるやつがいたら、そこでひと笑いが起きますよね。
でも、そのあとでいじられてる側が、めっちゃ面白い返ししたら形勢逆転なわけですね。
これはバレーボールに似ています。
バレーボールで一番盛り上がるのは「誰も取れないようなスパイクを打つ」ではありません。
一番盛り上がるの「誰も取れないようなスパイクをレシーブした時」です。
そう信じて、おもしろい返しをしてなんとか生きていました。
しかし、僕は大人になってある事に気が付いたのです…
普通に痛い
イジられキャラをやっていると、まわりはある勘違いをしてきます。
それは、イジり笑いが起こった時にに、優しい人間性を持ち合わせている人が
[chat face=”woman1″ “align=”left” border=”red” bg=”red” style=”maru”]ひどーい。言い過ぎだよぉ[/chat]
と、声を上げてくれます。
もちろん多くの人は便乗して笑っています。
でもイジってきたヤツは、周りはこう言うのです。
[chat face=”man3″ align=”right” border=”blue” bg=”blue” style=”maru”]大丈夫!大丈夫!
コイツはイジられて、オイしいと思ってるから!![/chat]
その時、もちろん僕も愛想笑いをしています。
でも、今になって気が付いたんですけど、イジリを受け入れていたのは僕の自己防衛本能です。
本当は普通に傷ついています。
当時の自分は気がついていないんですが、傷ついているんです。
それでも愛想笑いをしてまで、そのコミュニティにいたかったので、なんとしても明るい奴でいなければいけなかったのです。
そう言えば小学校の時だったか、僕がいじめられているという内容で先生に呼ばれたことがあります。
ランドセルを取り上げられ、虫嫌いの僕に虫を近づけて返してくれないと言う、360度どこを切り取ってもイジメである状況です。
先生が助けてくれるのかと思いきや
[chat face=”man3″ align=”right” border=”blue” bg=”blue” style=”maru”]お前がおもしろい嫌がり方をするから悪い[/chat]
しかし、この年齢で気が付いちゃったんです。
人間が生きていく上で最も大切なことに最近気が付いたんです。
それは、人は「浴びた言葉で心が作られ、吐いた言葉で人格が作られる」と言う事です。
言葉を大切にしよう
さて、皆様にお伝えしておきます。
それは、コンプレックスを笑いに変えることをやめたからです。
僕はこのように、言葉を生業(なりわい)とするブロガーになったので、言葉と本気で向き合うようになりました。
そして、言葉には魔力があるとも感じています。
コンプレックスを笑いに変えるということは、自分で自分をイジメてるのと同じです。
子供の頃を含めて若い頃は「他人に認められたい」という気持ちが強かったと思います。
※僕の場合はモテたいという気持ちです。
そのため、イジリやキモいという攻撃性の強い言葉を受け止めてしまうのです。
更には、みんなと仲良くするために「自虐ネタ」を使ったりもしました。
自虐というのは、文字通り自分の言葉で自分をイジメているのです。
「太った?」って聞くやつ嫌い
例えば「太った?」という言葉があります。
「太った?」と聞いた先に何が生まれるか予想できないのでしょうか??
3つの具体例を見ていきましょう!!
【パターンA:普通に認める】
[chat face=”man3″ align=”right” border=”blue” bg=”blue” style=”maru”]お前太ったなぁー[/chat]
[chat face=”woman1″ “align=”left” border=”red” bg=”red” style=”maru”]はい…。
そろそろダイエットしなきゃとは思うんですけどなかなか…[/chat]
[chat face=”man3″ align=”right” border=”blue” bg=”blue” style=”maru”]あははー!
幸せ太りってやつかー![/chat]
【パターンB:ポジティブに認める】
[chat face=”man3″ align=”right” border=”blue” bg=”blue” style=”maru”]お前太ったなぁー[/chat]
[chat face=”woman1″ “align=”left” border=”red” bg=”red” style=”maru”]そうなのー。
やばいよねぇー。
でも、この年齢になるとなかなか痩せないよねぇ[/chat]
[chat face=”man3″ align=”right” border=”blue” bg=”blue” style=”maru”]あははは、わかる!水飲んでも太るよね(笑)[/chat]
【パターンC:おもしろい返しをする】
[chat face=”man3″ align=”right” border=”blue” bg=”blue” style=”maru”]お前太ったなぁー[/chat]
[chat face=”woman1″ “align=”left” border=”red” bg=”red” style=”maru”]え?
いざという時に使えるエネルギーを備蓄してるだけですよ??[/chat]
[chat face=”man3″ align=”right” border=”blue” bg=”blue” style=”maru”]あははは!
返しうまいね![/chat]
この3つのパターン全てにおいて「太った?」と言った人だけ楽しんで、言われた方は相手の失礼をうまくさばいています。
なんなら、言った人は「俺のイジリで笑いが生まれて、コイツもオイシイはずだからWin-Winじゃん」とか思ってる勘違いクソ野郎な可能性すらあります。
なぜ、嫌な思いをしているコチラが場を取り繕ってあげなきゃいけないのでしょうか?
自分を守るのは自分です
自分は二人いると思ってください。
自分の心(自尊心)と、心を守る自分です。
相手から攻撃性のある言葉を受けたときに、自分の心(自尊心)はピッコロさんのように自分で守らなきゃいけなません。
イジリを受け入れたり、自虐ネタを使うと言う事は、自分を守る自分(ピッコロさん)まで、悪意ある相手(ナッパ)と一緒になって、自分(悟飯)を傷つけている状況です。
まず、悪意ある言葉(イジり)をナッパに吐かれたとします。
そうすると、ピッコロさんが自分の心(自尊心)を守ってあげなければ、自分の心(自尊心)は死んでしまいます。
ですが、イジリを受け入れたり自虐ネタを使うと言う事は、本来守ってくれるはずのピッコロさんが…
ナッパと一緒になって、口から怪光線をコチラにぶっ放してくるようなものです。
もちろん、イジりを受け止めて自虐ネタをしてしまったら、自分の心(自尊心)はどうなるかと言うと…
[ac-box01 title=”こうなります…(クリック)”]
[/ac-box01]
ですが、世間はこう言いますよね?
[chat face=”woman1″ “align=”left” border=”red” bg=”red” style=”maru”]ありのままの姿見せるのよ!![/chat]
[chat face=”man3″ align=”left” border=”blue” bg=”blue” style=”maru”]ナンバーワンにならなくてもいいんだよ!
もともと特別なオンリーワンだから![/chat]
好きになんてなれるわけがないんです。
コンプレックスを笑いに変えているうちは、自分も自分のコンプレックスをバカにしてるんですから。
例えば、ナッパのイジリをキチンと受け止めて、自分の心を守ってるピッコロさんなら好きになれますよ。
このように、他人と仲良くなりたいという理由で自分をイジめるというのは、気づかない間にキチンと本当の自分(悟飯)は傷ついています。
そして、その成れの果てが「どうせ自分なんて」という、自己肯定感を持てなくなってしまうのです。
あなたが、あなた自身があなたを守らないと
[ac-box01 title=”こうなります…(クリック)”]
[/ac-box01]
美しい言葉が安っぽく聞こえる
「あるがままを受け入れる」
「自分のことをもっと好きになろう」
「君は自分が思っているより素敵な人だよ!」
「もっと自分に自信を持って!」
「自分のことを好きになろう!?」
ですが、それを言ってくれてる人は、本当にそう思って言ってくれていると思います。
あなたがそれを安っぽく感じているのは、あなたが自分の事をいじめているからなんです。
人はそれぞれ自分の嫌いなところやコンプレックスはあるでしょう。
でも、あなたは自分(悟飯)が嫌いなんじゃないんです。
他人と一緒に自分をいじめてる自分(口から怪光線を放っているピッコロ)なんか好きになれるはずがない
これが、正解なんです。
では、イジられた時に、どう切り返すのが正解なのでしょうか??
まず、イジリに対して面白いリアクションをしてあげてはいけません。
イジられた時のリアクションは2択です。
1.無視
2.「で?」の一言
SNSの場合も同じです。
あなたが受けた不愉快さは相手にキッチリと伝わります。
子供ってむずかしい
しつこいですが、自分の自尊心は自分で守らなきゃいけないわけです。
ただ、残念ながらこの方法が取れるのは大人になってからです。
大人と子供の決定的な違いは「生きていく環境を自分で選択できるか?」です。
子供は生きていく環境は選べません。
その地域のその年に生まれた奴らと仲良くしていかなければいけないのです。
だからイジりにも耐えなきゃいけない。
年齢だけ18や20になっても「環境の選択権」がなければ子供のままです。
子供はかわいそうだと思います。
全国に気の合う仲間がたくさんいます。
ですが、その倍以上に気の合わない人達がいます。
分母を増やすと、当然分子も増えます。
でも、僕は大人なので誰と付き合うかは自分で選択ができます。
年齢だけ大人になっても「交友関係」「収入問題」「家族関係」「自分の選択に自信が持てない」「地元を飛び出す勇気がない」等の諸々の事情があると思いますが、結局のところ自分で環境を選べなければいくつになってもあなたは子供です。
35歳までの僕は「お金がない」「時間がない」「コンプレックスだらけの身体」で、自分なんて好きでもありませんでした。
でも、35歳から自分を好きになる努力をしました。
自分でいじめ抜いた自分と向き合いました。
マインドを変えました。
今ではアホみたいに自撮りをするおじさんですが、大学を卒業してから35歳までの写真はほとんどありません。
35歳で何があったかは、また別の機会に話したいと思います。
どうやって自分を好きになったか??
シンプルに金の問題が解決できたから
ただし、自分を好きになるのは「自由な時間」が必要になります。
僕の場合は32歳で転職して、2年くらいかけてキチンと生計を立てられるだけの収入を手に入れる事が出来ました。
20代は本当に貧乏でした
https://kamepyonblog.com/kamepyon-wedding
そして、34歳の時に嫁ぴょんが二人目の子供を妊娠したのですが「切迫早産」で2か月程入院しました。
その時に僕は当時4歳だった息子と二人暮らしが始まったのです。
当時は、東村山市から新宿に通っていたので通勤は約1時間です。
その上、保育園のお迎えがあるので残業は一切できません。
ハイスピードで仕事をこなすしかなかったんです。
その後、娘が無事に生まれまして、ある事に気が付いたんです。
俺って残業しないでも仕事全部回せてね??
そうなんです…僕はすごい力を手に入れてしまったのです。
なんという力でしょう。
信じられないほどのすさまじい力です。
これが残業をしないというやつなのです。
残業代はもらえなくなり、給料は下がりましたがとにかく「自由な時間」が生まれました。
僕はお金より時間を選んだよ!
最後までかっこつけろよ!!
没頭すること
そこで、僕は今まで我慢していた趣味を片っ端から再開しました。
まずは外見をキチンと気にするようになりました。
それから、趣味を楽しんでいると仲間が増えていきました。
このブログも趣味の一つで、いまではたくさんのブロガー仲間もいます。
趣味の世界で繋がった人は、情報交換とお互いを褒めあうのが通常運転なので、そこにイジリは発生しません。
そのような、イジリのない場所に身を置いていると、だんだん自分の事が好きになりました。
それもそのはず、誰も僕を傷つけないし、自分も自分を傷つけないから。
そうしていると、おのずと自己肯定感は上がっていきました。
セミナーに行って、無理やりマインドチェンジしたのではありません。
好きな事に没頭して、共通の仲間を増やして、イジリのない空間に身を置いたら自分を好きになったのです。
というか、人はヒマだから他人をイジるのです。
今は僕は「自分の人間関係を自分で選択できる」ので、嫌なやつがいる空間に身を置きません。
その人が悪いとかじゃなくて、結果的に僕が自分を傷つけちゃうから。
最後に悟空が父親としてクズ過ぎる
今回は、自分の自己肯定感がどうしてあがったのかを自己分析したので、ちょっとこんなブログになってしまいました。
日本では、自己肯定感の低い方がほとんどだと思います。
学校や会社という狭い世界で生き抜くには、イジリを受け入れるしかない環境だったりしますから。
僕も会社の人間関係は選べませんが、ひとつよかったことがあります。
どこの会社にも怖い人(高圧的な人)っていますよね??
その人たちに、イジられようがが、高圧的な態度取られようがキックボクシングをやっているとキチンと言い返すことが出来るようになります。
※もちろん仕事がキチンで来ている前提だよ!
なぜかというと、相手は体のなまりきった会社員です。
何を言われようが
という自信があるからです。
仮にケンカになって「おもて出ろ、こら?」と言われても秒で倒せます。
このオレがひとりでかたづけてやるぜ…
[ac-box01 title=”そして、こうなります(クリック)”]
[/ac-box01]
それでは最後まで読んでくれてありがとうございました。
ここまで読んでくれた方は、僕と気の合う仲間だと思います。
僕はあなたをイジりません。
あなたもあなたをイジらないように気を付けてください。
人の痛みをわかる人間でいてください。
[…] […]